九州最後の炭鉱 廃墟へと向かう島 池島偏 2014.02.09
以前インターネットでこの島のことを知りどうしてもアイランドハンターのオカピーとしては行きたくなったので
ランタンフェスティバル+池島+佐賀の灯籠祭りの3点セットで最近美味しいものばかり食べて重たくなった身体にムチ打ち!長崎と佐賀を満喫しましたのでupします。
↓長崎ランタンフェスティバルは中国の春節(旧正月)の祝日でありますね。
ここ長崎を含む日本3大中華街も各地お祝いムードなのでしょうね。
毎年この場所に来ていますね。
中華人形『オカピー1年ぶり~。』っと人形達にお出迎えされました。
オカピー『彼此彼此!好久不見~』
うま~。って今年がすっかり馬年なのを忘れていたわ。
3つ巴の龍~
長崎ランタンフェスティバルを楽しんだあとは稲佐山の夜景ですね。
翌日池島へ出向します。確か10:00頃出向だったはず。。。
池島情報
池島と炭鉱より
池氏mの炭鉱開発は、昭和27年(1952年)10月、松島炭鉱株式会社により着手され、昭和34年(1959)10月より永劫出炭を開始しました。以降、石炭産業が基幹産業として地域発展の中心的役割を果たすことはもちろん、優れた炭鉱技術で日本ひいては世界的エネルギー産業の発展に多大な貢献をしました。
国内の炭鉱は昭和30年代から40年代にかけて、エネルギー供給の主体が石炭から石油に移る『エネルギー革命』と、単価が安い外国炭に押されて、厳しい経営を強いられ、残存炭鉱が次々と閉山に追い込まれました。そのような中で、池島炭鉱は、炭質、採掘条件とともに優れた国内有数の炭鉱として、国の石炭政策のもとで最後まで生き残りを図り、労使協約のもと保全確保を大前提として着実な操業を続けました。しかし、約3倍に及ぶ内外炭の価格差などにより炭鉱の経営維持が困難となり、池島炭鉱は平成3年(2001)11月29日に閉山しました。
なお、池島という名前は、現在港になっている周囲1.2キロの大きな池(鏡が池)からとられています。
乗客は僕を含め20名ほど、そこそこいますね。到着早々お出迎えのバスにみなさん乗車しています。。。。
オカピー『いったいなんだろう~。まぁ乗っておくか』ってことで同行することにしました。
どうやら坑道入坑ツアーのようでしてたまたま同行させていただく事に成りました。
ラッキーです。
http://www.nagasaki-tabinet.com/houjin/industrial/course/2.cfm
こちらが住宅街。以前軍艦島にも行った事があるのですが、立ち入り禁止区域が多く整地されていたのでガッカリしたのですが、こちらはすこし自由な雰囲気ですね。
『女神像』島の歴史と共に生きた銅像ですね。
坑道は地下660mほどあるのだとか、東京スカイツリーよりも深くもぐることにビックリしました。
こちらが採掘場。平成まで稼動していたとは
入坑する為にヘルメットとライトをつけていざ
ガイドの堀ノ内さんについて行きます。
テンション上がってきますね!
堀ノ内さん「え~これは松岩もしくは玉石といって石炭ではありません!重いです」
似ていますね。石炭は軽く水に浮くので分離装置で分離するようです。
池島の海底炭
この石炭塊は池島の周囲の海底下で採掘されました。旧池島炭鉱では海面下370mから650mの範囲に採掘可能な石炭層が3層ありました。
石炭層は厚さ1.8mから2.8m、傾斜が0度から10度で機械化採炭に適した自然条件でした。旧池島炭鉱では1952年から開発に着手し、1959年から出炭を始め、2001年に閉山するまでの50年の間に約4300万トンの石炭を採掘しました。
さぁ電動トロッコに乗って入坑開始です。『ガタッゴトッツ』ほんの200mほどですがそれでも十分にまっくらですね
池田さん「ここからは私が案内をします。」
池田さん『これがこのあたりの掘削図になります。奥から手前に掘削し始めるのです。石炭は発火の恐れがあるので火災には注意を払っていました』
こちらが当時の掘削機械『電動に変えてありますが一応動きます
オカピー「ポムじいさんいないかなぁ~?」
このように石炭や石油とは切っても切れない生活になっていることを改めて気づかされましたね。今後のエネルギー革命にも期待をしないといけないのですが、価格面では国内は衰退しましたが、まだまだ現役であろうの池島石炭炭鉱を見れて良かったです。
最後には佐賀で行われた灯籠を見て帰りました。
ハート
灯籠~。。。世界一この日は綺麗でしたね。